どうも!鉄人です!
やっとブログの引越しが終了した!嬉しい!
さて、ブログのタイトルを「鉄ログ」から「NO常識LIFE」に変更したわけですが、なんともお年寄り受けしなさそうなタイトルです。笑
全部日本語にしてみると
「常識のない暮らし」
「常識のない生活」
「常識のない人生」
そんな感じに訳せるかと。
どんなクズが書いてるのか気になるでしょ?笑
常識という概念を語れる人がいない
「キミは常識がない!」
「なんて非常識なやつだ!」
常識という言葉は、得てしてネガティブな意味合いで使われることが多い。
と僕は思っている。
「キミは常識があるね!」
「常識があってえらいぞ!」
褒めるニュアンスで使うことに違和感を覚える人は多いことだろう。
とも思っている。
なぜか?
常識はあって当たり前、常識がないことは悪だ、という考えが“常識”だから。笑
だと僕は思っている。
「“常識”って何ですか?」
常識を振りかざしている人の中で、この質問に的確に答えらる人は多くない、おかしな話だ。
とも思っている。
なぜか?
そもそも今の世の中に常識なんてものが存在しない。
というのが、僕の考え。
これだけ目まぐるしく変化する時代、ことあるごとに“常識”を作り上げる必要がないのではないかと思っている。
また“常識”に該当するものが一つではなくなったとも考えている。
要するに選択肢が増えている。
だから言い切れる、
現代に常識などというものはない!
常識をわきまえるより、知恵をつける
以前読んだ本でとても感銘を受けたフレーズなのがあった。
ホリエモンの著書『すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論』では、“知恵”と“常識”についてこのように述べられている。
知識とは、原則として「ファクト」を取り扱うものだ。主観の一切入り込まない事実(ファクト)にもとづく知。それが知識である。
一方、常識とは「解釈」である。主観の入りまくった、その時代、その国、その組織の中でしか通用しない決まりごと。それが常識である。(中略)
つまり、ただそこに存在するのが知識であり、誰かの手によって作られるのが常識だと考えるといいだろう。
これまでの人生で育まれている“常識”は、これまで得た情報を自身がどう解釈したかだ。
そんなわけで世の中には歪んだ常識がたくさんあるように思う。
そして常識がなぜ常識であるのかを考える人はそう多くないだろう。
だから僕は知恵を使って、常識と向き合っていこうと思う。
“常識はずれ”という言葉を死語にしたいものです。
そんなブログになるといいなー!
と思っている。
さて、なるのか?笑
ほなほな